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2022年6月 2日

サスティナビリティ・ジャーニーでESGを会社経営へ組み込み、投資家の信頼を得る

昨年秋から今年春にかけて内閣府が実施した「知的財産投資・活用に係る今後の標準的な開示・ガバナンスに関する実態調査」のプロジェクトに参加し、海外企業がサスティナビリティ、ESGに関して、どのような開示を行っているのか、好開示と評価されている100社以上の海外企業の公開情報調査を行った。同時に日本株を専門とする複数の海外機関投資家とディスカッションを行い、日本企業のESG開示についての意見を聞いた。

【海外企業の多くは、ESG embedded】
日本でもESG開示は進んできており、統合報告書を発行する企業数は2021年には700社を超えたと報告されている。だが、統合報告書を発行することがサスティナビリティ開示の目的・ゴールではない。そもそも、海外では統合報告書(Integrated report)という形での発行例は少なく、ESG開示はSustainability Reportを始めとする各社各様のレポート、及び、経営計画や決算説明のプレゼンテーション資料、ホームページの画面そのものといったように、好開示例はホームページ上のいたるところに散見される。数年前までは、投資家・アナリストであれば「投資家向け」の見出しだけをクリックすればよかったが、今や、サスティナビリティは企業のホームページ全体を司るほどの大きなテーマとなっている。

このように、海外企業のESG開示がホームページのいたるところに見られる理由は、多くの海外企業がすでに「ESGが経営に組み込まれた(ESG embedded)」段階に達しているからだ。公開情報を調査する過程では、何度もESG embeddedという記述を目にした。

【機関投資家はここを見ている】
ESG embeddedの完成形まで達した企業では、ESGが経営現場や従業員一人一人にまで浸透し、各社員に自然と経営への参加意識が根付く。その結果、社員が活き活きと仕事をし、仕事を誇りに思う気持ちが強まり、その様子が開示資料を通して伝わってくる。投資家が求める開示とは、あふれんばかりにそうした様子が伝わってくる資料である。資料には会社が設定したESG目標とその進捗がKPIによって開示されている訳だが、ESG embeddedが完成に近づいている会社では、そのKPI設定にもその会社の工夫、ステークホルダーへの配慮、現場との近さ、等が見て取れる。こういった所を投資家はよく見て、感じている。

機関投資家は日本人も、外国人も、人間味にあふれる人物が多い。機関投資家がその会社に一定以上の規模の投資を決定する際の決め手は、その会社と信頼関係を持てるかどうかである。ということはつまり、望ましい開示資料とは、数字と専門用語満載のいかめしい資料ではなく、基本的な開示項目はカバーした上で、そこに働く人々の熱い息吹が感じられるもの、そして、その息吹が正しく、望ましい方向に向かっていることが投影されている資料である。投資家が捜しているものは、大きな会社に特定している訳でも、完璧さを求めているのでもない(完璧ならすでに株価も高い)。その会社の規模とフェーズに見合ったESGの理解と組み込み具合、つまり、サスティナビリティ・ジャーニーの歩みを見たいと投資家は望んでいる。企業は、投資家からの直接・間接的な要請に応える形でサスティナビリティ・ジャーニーを行うことで、ESG embeddedの完成形に近づいていく。

【サスティナビリティ・ジャーニーとは】
サスティナビリティ・ジャーニーとは、サスティナビリティ、ESGに関する自社の方針・目標を策定し、目標達成へ向けた取り組みを進め、それらを開示する一連のプロセスのことである。ESG目標は一般的には環境対応やガバナンスの透明性、等が知られるが、これらの一般的項目に加えて、その会社が独自に大切にしていること、経営の支柱となる非財務項目を、自由に目標に設定してよい。そうすることで、その会社がESGを会社経営、つまり、ビジネスモデルに組み込む方向性が見えてくる。

【海外の好事例】
海外のESG開示例を見ると、企業はどのようにESGを使いこなすことができるのか、参考になる点が多々ある。いくつかの例を挙げてみたい:

ESG目標によって会社を束ねる会社
酒類飲料会社の買収によって世界規模で拡大を続けるイギリスの会社があり、買収、売却によって多数のブランドを保有している。この会社はESG目標の一つに、同社飲料を通じた健康生活・ライフスタイルの提案活動でよりよいコミュニティー・社会作りに貢献することを掲げている。嗜好品である飲料業界で世界規模の成長を達成しようとすれば、第一に、健全な市場の創造から、その企業が携わっていかなければならない。また、地域、性別、年齢等によって、好まれる飲料に違いがある。よって、ダイバーシティー&インクルージョンはまさにこの会社の成長の鍵を握るものである。この会社の場合には、ESG経営がそのまま市場創造・長期成長に直結している。

創業間もない成長期にある会社
決算説明資料の中に掲載しているKPIから、その会社が投資家から同じ質問を何度も問われ、それに関して、会社なりにデータを探したり、加工したりして掲載して、精一杯、投資家サービスをしようとしている様子がうかがえる。その会社のエンゲージメント最前線、つまり、投資家がどこに注目しつつあり、それに会社がどう応えようとしているのかを見ることができる。また、会社によっては、その段階にあっても、事業KPIだけでなく、会社が重要と認識する非財務(ESG関連)のKPIをいくつか掲示し、会社の指針、大切と考えている項目を掲載している会社もあり、経営の背景を知ることができる。これを更に進めて、価値創造モデルのひな型を作成して、開示している会社もあり、その会社が新旧の社員を交えて、一緒に会社の将来像を議論し始めた様子が伝わってくる。

会社の特色・フォーカス分野を再認識するケース
集中と選択が叫ばれた時代があった。かつての目的は足元の採算性向上だったが、ESGが重視される時代には会社の特性を確認し、長期成長を達成するためへと視点が変化している。例えば、下請けネットワークに強みがある戸建て住宅販売会社が、そこに工事プロセスの共通化、定期的な研修、現場の安全対策、退職率低下といったESG的な戦略を強化することで、営業エリアの拡大を達成しつつある。その会社の決算説明資料では、四半期の業績KPIと同じ表の中に、複数のESG目標KPIの進捗ペースが記載されている。

【ESGをビジネスモデルに組み込む】
すでに統合報告書を作成した日本の企業であっても、「ひとまずESGという新しい義務は開示したと思う」という状況であれば、それはまだESG embeddedの段階に達しておらず、ジャーニーを先に進めていく必要がある。最重要ともいえる「ESGをビジネスモデルへ組み込む」段階へと進むことで、その会社はESGを義務から長期成長を牽引する手段へと変えることができる。サスティナビリティ・ジャーニーを進めることで、自社の価値創造、それを実現するための目標設定、目標達成のための具体的な取り組み、KPIによる目標の数値化と進捗測定、各部署・ポジション・案件・業務・各社員がどう価値を創り出し、会社と社会全体の価値創造に貢献するのか、それをどうステークホルダーに向けて開示・アピールするのか、といった事柄を全社員が関わって、議論しつくしていく。その結果、完成形に近い会社では、各社員が自分の役割をKPIと共に理解し、能動的に自分で考え、仕事を進めるようになる。つまり、整えられた仕組みの中(ビジネスモデル)で、各社員が自立し、動機付けされて仕事に向かう。こうした状態に達した企業では、考え方(マインドセット)や目標が明確に定着しているため、日々変化する事業環境の中でも、判断に迷わず、各自が与えられた環境下で最大の成果を上げ続けるようになる。

【会社のフェーズごとにESGを認識し、経営へ組み込み、開示を考えるための案内人】
サスティナビリティ・ジャーニーには案内人が必要である。どの会社にも何らかのESGはすでにある。ジャーニー初期の段階では、その会社のESGはあまりに自然に、以前からそこにあって、なかなか自社では気づかない。また、その会社のESG embeddedを見つける旅であるサスティナビリティ・ジャーニーには正解や厳密な決まり事はない。このジャーニーで最も重要なのは、会社が主体性を持って、自主的に取り組んでいくことだが、それは日本の文化の中では、難しいことかもしれない。自社内だけで自社の素晴らしい所を客観的に観察するのは難しく、優れた案内人にESGの見地から指摘してもらった方がよい。

すでに統合報告書までの歩みを経た段階の企業にとっても、案内人は重要である。株主を含むステークホルダーからの視点で、その会社のESGをビジネスモデルに組み込み、業績拡大と社会への貢献の両輪による価値創造へとつなげるという壮大なジャーニーは、ESGとマーケット(株式市場)の両方を知っている案内人を得て、相談を重ねて歩みを進めることで、自信をもって進んでいくことができるだろう。

【会社のタイプごとに異なるジャーニーの完成形】
また、ESG embedded企業の完成形にはいくつかのタイプがある。もともとの事業形態や創業の経緯から、ESGがDNAとして、その会社の経営の軸・支柱となっており、日常的な企業経営において立ち返るべき存在となっているケース。この場合には、ジャーニーの案内人がそのESGを指摘し、整理し、ESGをビジネスモデルに組み込むサポートを行うことで、比較的スムーズに完成形に近づけることができる。

一方、最初からESGがあった訳ではないが、戦略的にESGを取り入れようとする会社もある。その場合、ESGを一種のツールとして使いこなす方向へジャーニーを進めることで、新市場の開拓、ESGを会社アピールやイメージアップに結び付ける、といったビジネスモデルへの組み込みを経て、成長・価値創造へとつなげていくことができよう。

                 
藤野 雅美

外資系証券会社調査部にて、日本株リサーチアナリスト歴20年。担当セクターはエレクトロニクス産業、通信事業者、そして、中小型、新興企業。その後、米系ヘッジファンドにて、バイサイドアナリストを務め、セルサイド、バイサイドの両視点から企業を見る経験を得た。2015年から、日興アイアールの委託アナリストとして、IPO企業のロードショー資料作成、既上場企業のエクイティストーリー、中期経営計画開示資料、決算説明資料の作成に携わる。2021年10月~2022年3月に渡り、内閣府のプロジェクトで、海外企業のサスティナビリティ、ESG戦略、情報開示の最新状況について公開情報調査を行い、また、海外企業、ESG調査会社、海外機関投資家を対象に、ESG戦略・開示についてのインタビュー活動に従事。他に、事業会社と海外投資家とのエンゲージメント支援、通訳も行っている。

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